戦後72年目の731部隊

2017年8月13日のNHKスペシャル731部隊の真実〜エリート医学者と人体実験〜」の自分メモ書き記録

731部隊満州で囚人対象に細菌兵器の人体実験を行っていた日本軍の秘密部隊。森村誠一氏による三部作でショッキングな事実が広まったのは30年以上前の話。その後、日本軍の様々な残虐行為を正当化したい層により、南京大虐殺従軍慰安婦などに並び否定され続けているが、なぜ今、NHKが番組を作ったのか。(ここまで雑感)

ハバロフスク裁判、終戦四年後に関東軍幹部などの抑留者を対象に行われた。中枢メンバーによる詳細証言の音声記録が新しく発見され、それをベースに作られた。

裁判自体のロシア人判事と証人との生々しいやり取り。それを元部隊員の証言で裏付ける。14歳で従事していた三角さん。囚人がマルタと呼ばれていたこと、丸坊主のマルタを屋外の杭につないでおく。憲兵の指示で少年隊員と呼ばれた三角さんたちが働く。少年隊員は優秀な医学生薬学生に特訓をうけた。戦友会が戦後まとめた学生たち(=技師)名簿には、京大、東大、慶応など錚々たる大学の名前が残る。十の大学より40名を越す学生が将校待遇で研究を指導していた。

医学、という人の命を救う学問に従事する人々がなぜ人体実験に関わったのかが謎。

11名を出した京都大学医学部、731部隊からの金銭報酬がチフス菌の責任者だった個人に500万(今の価値で)ほど支払われていた資料が京都大学から見つかった。菌をスイカやマクワウリに注射。増殖を確かめてから満州人とシナ人(証言ママ)の5,6名に食べさせ、全員感染させた。教え子を部隊に送ったのは医学部長戸田。軍から多額の研究費を得ていた人物。防寒服の研究などで2億5千万円にあたる費用を得ていた。医学者も満州国での防疫活動で満州国建国に貢献すべきと信じて35名を70名に増やしたほど。731部隊は、京大医学部出身の石井四郎大佐がリーダー。今の価値で300億円ほどが彼の握る予算だった。恩師戸田は石井と懇意で、東京でもあったが満州現地に何度も行き和気藹々やっていた。戸田研究室から7名、全学で11名が行った。次いで多かった東京大学は、組織としての関わりは認識せずと回答してきたが、東大総長を務めた長与が石井と接していたことを発見。総長退任後に731部隊の現地も訪ねていた。その結びつきで東大からも送り込まれた。教授たちは軍と約束済みの顔で満州行きを命じてきた。破門の脅しも行われた。

送り込まれた囚人は年間で最大600人とも。関東軍満州にいた日本軍)の兵士が悩まされた凍傷の治療を目的に人体実験が繰り返された。扇風機で冷たい風を囚人の手にかけて人工的に凍傷を作り、実験をすすめた。食事、不眠など様々な条件を作りつつ実験を繰り返した。

実践に向けて進んでいたのは細菌爆弾の人体実験。「瀬戸物の大砲用の細菌弾、空中で霧状に菌がとび、そこを通過した囚人と、頭上で爆発させた囚人とを作り、大部分が感染し4,5人が亡くなった。」

人体実験を容認したのは日本国内の世論。中国戦線で抗日に戦う中国人を、国内では匪賊とよび、世論に憎しみを煽り続けていた。そうした時代の空気と研究者がリンク。匪賊蔑視が当然とされていたことが北海道大学の資料に見つかった。染色体を研究する論文発表で、匪賊を生きたまま材料としたことが公にされていた。染色体は生きた状態でなければ研究できない。どうせ日本人の命を奪う匪賊なら、染色体の生きた材料にすることはむしろ有効利用。三角氏「囚人として利用しなければ逆にこっちがやられる。可哀想だ、なんて言うことは非国民とされる風潮だった」

泥沼化する終戦間際、国際条約で禁止されていた細菌兵器を昭和16年から密かに中国部隊に対して使用していた。中国人の集落にも細菌を撒いた証言もある。「ペスト菌(蚤に感染させ)、コレラ菌、チフス菌を水源に散布した」。裁判証言では菌に感染したものを治療もせず解放したことも生々しく語られる。ソ連満州進攻とともに全て囚人は殺し、施設は爆破、いち早く関係者は特別列車で帰国させ、沈黙を強いた。三角氏は囚人の死体処理を命じられた。「ガソリンで焼き、骨も拾わされた。戦争はこういうもの、するものじゃない、つくづく感じ、一人泣いた。」帰国した医学者たちは罪には問われず。米軍が治験データの提出と引き替えに棒引きにした。多くを送り出した教授は金沢大学の学長をした。学生だったモノも教授として活躍。人体実験については堅く口を閉ざし続けた。

現在、科学者が集う日本学術会議防衛省から大学への研究費提供についての議論が。研究費=軍事ではないという意見の一方、原爆と731が同列に、科学者の良心的責任として語られる。72年目の今、人としての一線を越えた医学者の姿、細菌培養の責任者は戦後初めて罪の大きさに気づいた。抑留裁判の最後に残された証言で「私には国内の母と妻、2人の子供があり、罪の大きさを感じ終始懺悔している。生まれ変わることができたら、悪事を償うために尽くしたい」この医学者は帰国後自殺したと伝えられている。